一般社団法人 全日本ミニバレー協会
ミニバレーとは
ミニバレーは昭和47年に大樹町で考案されたスポーツです。軟らかい専用のボール、誰にでもわかる簡単なルール、安心してできる低いネット、人数や運動量を考慮したコートの広さなど、大衆スポーツとしての様々な工夫により、年齢や性別をこえて手軽に楽しめるスポーツとして、全国的に普及しました。近年は愛好者も婦人層から少年、青年、高齢者と全般に広がり、レクリエーションスポーツとしてばかりでなく、競技スポーツとしても高い人気を得てます。
ミニバレーの4つの特徴
1. ボール
ミニバレーの一番の特色はオリジナルボールにあります。誰にもなじみやすく、手軽にプレー出来るのは軟らかく変化が面白いビニールボールだからこそです。また球道の意外性は、バレーボールとは一味ちがったゲームの奥行の深さを生み出します。
2. コートの大きさ
6人制バレーボールコート(9m×18m)の1/3(6m×9m)とすることが最初の発想です。現在は6.1m×9.0mを正規のコートとしています。小さなコートとした理由は、ボールの特性や人数、運動量、体力など、総合的に考えたからです。ミニバレーの名称もここに由来しています。
3. 支柱とネット
どこの体育館にもある用具で出来ることがスポーツ普及の絶対条件。既製のバドミントン用支柱を使いますから、ネットの高さは1.55m。この高さが、身長や技能、体力に関係なくブロックや、アタックを可能にします。何よりも心理的に安心感を与えてくれます。子どもも、大人も一緒にプレー出来るのはこのネットの高さだからこそです。
4. ルール
誰にもわかりやすいルールを原点にオリジナルルールを作りました。元祖ミニバレーです。
ミニバレーのルール
ミニバレーのあゆみ
1972年 大樹町教育委員小島秀俊「ママさんバレー」の指導に行き詰まり化粧品宣伝のビーチボールにヒントを得てバレ
ー型式のゲームを考案。「手軽に出来て楽しいスポーツをしたいという希望に応えたい」試行錯誤し町民に人気
のニュースポーツが誕生する。ニュースポーツ考案の先駆となる。
1973年 町民スポーツ大会の種目として採用。爆発的な人気を得て、以後PTAや職場、地域のスポーツとして定着。
1974年 ルールを文章化して簡易ルールを作成、名称を「ミニバレー」に決定する。ボールは玩具店でサッカービーチボール
などを購入して続ける。
1975年 「簡易標準ルールブック」第1号を発行。
1976年 NHK・民放のテレビ・ラジオで全国放送され以後教育委員会に問い合わせが殺到。
1978年 NHKーTV「北海道の窓ー激戦ミニバレー」2月の「町民スポーツミニバレー大会」が全道、全国放送になる。
1980年 冬期間の農村のスポーツとして定着。町民スポーツ大会の参加者が1千名をこえる。
1982年 NHKテレビ「ミニバレーに燃える町」30分全道放送。オリジナルボール1号を作製する。
1983年 NHK教育テレビ「高校講座ふるさとに生きるー神主さんミニバレーでまちづくりー」考案者小島の活動を全国放送。
1984年 大樹町がミニバレーの活動などで(財)健康・体力づくり事業財団から体力づくり優秀団体「国民会議議長賞」
を受賞
1985年 類似のスポーツが各地に出現、大樹町発のミニバレーを全国に普及するため大樹町ミニバレー協会を設立。
第27回健康体力づくり全国大会(札幌市)で実践発表と大会開催。協会のモットー「であい・ふれあい・わかちあい」
を小島が提唱
1986年 大樹町ミニバレー協会が3(ミ)月2(二)日を「ミニバレーの日」と宣言。十勝ミニバレー協会を設立。
1988年 大樹町開町60周年イベントとして第1回ミニバレージャパンカップ開催。北海道ミニバレー協会を設立。
全道市町村に「ミニバレー協会」が続々誕生する。
1989年 「はまなす国体スポーツ百選」に選定される。指導者養成事業(A・B級)公認審判員認定制度創設し指導者養成。
1991年 第4回ジャパンカップ札幌大会で東京、山形、富山の参加者と協議し全日本ミニバレー連絡協議会(後に協会設立)
1992年 オリジナルボール第2号球デザイン変更して作製(現在のボール)
1993年 北海道バレーボール協会との協議を経て(財)北海道体育協会の50番目の競技団体として加盟承認。
第1回全国フェスタを東京都目黒区駒場体育館で開催。
1994年 大樹町議会で「町技」に指定。 読売杯155ミニバレー大会始まる。(札幌市)
1998年 「第1回沖縄大会」糸満市に北海道から使節団18名参加。
2001年 有珠山噴火復興支援ミニバレー大会開催(洞爺湖町)全日本ミニバレー協会佐賀県支部設立加盟。
2002年 北東ユーラシア健康体育スポーツ国際会議(北海道大学)で小島が実践発表中国・韓国・ロシアの研究者と交流。
サハリン国立大学教授パシュコフ教授が関心をよせ、以後サハリン州で大学を中心に普及活動が始まる。
. 中国瀋陽、ハルピン・体育学院南京師範大学で林仁哲が、バンクーバーで侘美靖がミニバレーを紹介。
ミニバレー誕生30周年記念事業(ジャパンカップの歴史ビデオ作製、日・英・中・露語ルールブックを作製)
2003年 ミニバレー石川大会始まる。(石川県宇ノ気町)
読売新聞社主催北のくらし大賞で「奨励賞」を受賞(北海道ミニバレー協会)
2005年 フィリピンミニバレー協会の要請により小島以下5名、フィリピン・マニラでミニバレー教室と大会の開催。
サハリン国立総合大学から招聘を受け小島、朴がユジノサハリンスク市で学生・社会人に指導、セミナーで発表。
2006年 第2次サハリン訪問団小島以下6名第1回ミニバレーサハリンカップ国際大会に参加。
ネベリスク市・ホルムスク市で交流。
2007年 サハリン国立大パシュコフ教授ら5名を第13回読売杯に招聘。
高橋知事、堀道体協会長、伏見大樹町長他表敬訪問。大樹町内小中学校で交流。
ミニバレーみちのく大会はじまる(山形県米沢市)
2008年 ジャパンカップ20回記念大会(大樹町)パシュコフ教授以下指導者10名招聘、道内の協会と交流。
2009年 ねんりんピック北海道・札幌大会、デモスポ競技で参加。
第3次サハリン訪問団小島以下6名ユジノサハリンスク、ハバロフスク訪問指導、セミナーに参加発表。
2010年 第4次サハリンミニバレー学術会議に小島・侘美参加発表・いばらき大会はじまる
2011年 北海道ミニバレー協会の組織改編、新役員体制発足
「第5回人・健康・スポーツ国際会議」に小島が招かれ発表。各地の学校でマスタークラスを開催(ロシア・サンクト
ペテルブルク市)
サンクトベテルブルク市第85番ギムナジウムの生徒が東日本大震災被害者の福島の生徒にとお見舞いのメッセージと
折り鶴、署名簿を受託する。福島教育大学付属小を訪問して子どもたちに引き渡す。(チェルノブイリ爆発事故25周年
追悼式典に参加)
全日本ミニバレー協会加盟支部登録制に改変、新役員体制発足。
2012年 「ミニバレー誕生40周年、サハリン州交流10周年記念事業」ジャパンカップにサハリン、ブリヤート、モンゴ
ル選手団を招聘。式典、表彰、祝賀会、記念大会、セミナー開催。指導者養成講習(B級)101回認定者4,800名を
こえる。東日本大震災「ミニバレーで岩手の元気づくり応援志隊」を編成、大樹、音更から9名参加。NHKテレビ、十
勝毎日新聞社同行取材、大船渡市、陸前高田市を激励訪問交流。日露ミニバレー交流10周年でサハリンバレーボー
ル連盟と北海道ミニバレー協会がサハリン州政府庁舎で協力協定締結。北海道国際交流・協力総合センターの要請
で「日韓新時代創出スポーツ交流事業」北海道協会小島会長、青木事務局長韓国ソウル特別市、慶尚南道訪問交流。
2013年 韓国慶尚南道生活体育会招聘事業(HIECC)とともに帯広・幕別・音更で交流。
「64回東京国体・スポーツ祭東京2013」デモスポ競技として実施。北海道・沖縄協会が支援の物産展を開催し好評。
東京都目黒区
2014年 「日韓新時代創出スポーツ交流事業」慶尚南道バレーボール連盟と北海道ミニバレー協会で交流覚書締結(韓国昌原
市)小島会長モンゴル体育学研究所から名誉博士号を贈られる。
2015年 「2015ミニバレージャパンカップイン沖縄」北海道、東京、埼玉、神奈川、佐賀。、鹿児島、ロシア各地から参加。
2016年 大樹町ミニバレー協会創立30周年記念式典・祝賀会
「ミニバレー誕生40周年記念誌”挑戦”」発刊。 ロシア・ウラジーミル国立大学「黄金の鎖」ミニバレートーナメン
トに考案者小島会長招待され訪問。帯広ミニバレー協会創立30周年記念事業・第28回ミニバレージャパンカップイン
帯広にロシア(サハリン州、ソチ、モスクワ、クラスノヤルスク)韓国慶尚南道チーム招聘。発送の地大樹町訪問。
2017年 一般社団法人全日本ミニバレー協会として登録承認。新体制で活動が始まる。
ミニバレーソチオープントーナメント2017大会開催、日本選手団10名参加。サハリン「友好のボールプロジェクト
2012-2017」研究会に招待小島会長以下6名参加。世界青年学生祭典でミニバレーのデモスポ大会開催(ソチ市)
小島会長サハリン州コジェミャコ州知事から感謝状受賞
2018年 札幌ミニバレー協会設立30周年記念第30回ジャパンカップイン2018札幌市で開催。サハリン大学、ウラジミール国立
大学、ウランウデ、韓国慶尚南道チームが参加。2020鹿児島国体デモスポ競技として沖永良部知名町で開催のミニバ
レー指導者養成のため審判講習会を実施。第13回北海道、サハリン州市民交流会議で小島会長日露交流史と今後につい
て発表。