『ミニバレー物語』

 

○誕生のプロローグ

 「ミニバレー」は1972年(昭和47年)に、北海道大樹町教育委員会の職員だった小島秀俊が担当していた、ママさんバレーボール教室指導の行き詰まりに悩んでいたとき、1箇のビーチボールとの出会いがきっかけで誕生した「ニュースポーツ」です。

 「堅いボールは手や指が痛い」、「突き指や怪我が心配」「簡単に出来て、楽しいスポーツはないの」そんなお母さん方の切実な声。大勢いたママさんバレーボール教室の参加者が段々と減少し、小島の苦悩の日々が続きました。そんなとき友人が持っていたビーチボールが目にとまりました。「痛くないボール」「これは何か出来るかもしれない。」小島は直感し、早速教室の中でテストしてみました。これだと確証出来たのは、お母さん達の「笑顔と歓声」を聞いたときでした。

 こうして「ピンチをチャンス」に変えて『ミニバレー物語』が始まりました。お母さん達の要望をもとに、特に冬の運動不足を解消するため、既成の用具を使用し(バトミントン支柱、ネット)簡易なルールで試行錯誤を繰り返しながらスポーツとして完成させました。

 

○命名とルール

 ミニバレーと命名したのは「コート広さ(6人制バレーの1/3のコート)やネットの高さ(1.55M)、人数が4人、得点は11点(当初は15点)などバレーボールのミニ版であること。当時ミニスカートなども流行していて「ミニ」ということばの語感の良さが決め手になりました。ただ、「ミニバレーボール」としなかったのは、バレーボールとは一味違うこと、大樹町発というオリジナリテイーを強調したいというこだわりのためでもありました。

 また、ルールは、「シンプル・イズ・ベスト」を第一とし、審判もプレーヤーもわかりやすいルールにすること、ボールの特性やゲームの流れ、初心者目線で簡単でわかりやすいことを第1として作りました。

 

○デビューとボール

 ミニバレーの公式大会のデビューは、昭和48年の「大樹町民スポーツ」大会でした。当初はまだ名前がなくどんなスポーツなのか周知するのが大変でしたが、スポーツ教室参加のお母さん方の努力で20チーム、100名が集まり男女2名の混成を中心に、笑顔と歓声に溢れる大会が行われました。

 当初のボールはすぐに破れて使用できなくなり、帯広の玩具店でサッカービーチなどのボールを求め使用していました。ゲームが普及し愛好されると予想以上にボールを消費するため、製造元に相談したところ了解が得られてオリジナルボールを作製することになりました。第1号は1957年(昭和57年)「ミニバレー」とカタカナで表記しましたが、現在のボール第2号は、1992年(平成4年)誕生20周年を記念して「MINI VOLLEY」の英語表記で作製しました。第1号も第2号も小島が矢野デザインオフイスに発注した協会のオリジナルデザインで大樹町に関する表記を意識しながら作製しました。著作権表記や商標登録も行っています。

 

 

○普及発展をめざして 協会の創立と活動

 今日では、国内外の老若男女が健康づくり、仲間づくりを進めるスポーツとして、幼稚園・小・中・高・大学での教育活動、更には地域や職場、団体のレクリエーションとして、男女別、男女混成や年代別など多様な組み合わせで行ない、さらには本格的な技を競う国内外の大会や競技スポーツとして愛好者を増やし楽しまれています。

1976年(昭和51年)NHKーTVやラジオで全国に紹介されたことから教育、スポーツ関係者の注目を集め大樹町に問い合わせが相次ぎました。1985年(昭和60年)頃には、ゴムボールや皮革製のボールで、ネットの高さを1.8mとか2mとし、コートもバドミントンコートを使用する広いソフトバレーやソフトミニバレーなど類似のスポーツが誕生し、バレーボール協会などが推進するようになってきて、反響の大きさに驚いた物です。

 しかし大樹町のミニバレーとは少し趣が違うことから、自分たちがいち早く取り組んできたミニバレー本来のねらいや楽しさを堂々と主張し、今後も普及発展させるためには、大樹町教育委員会として取り組んで行くのは限界があることから、行政の手を離れて、独自に協会を立ち上げ、大樹町ミニバレー協会として、全国普及にも対応する自主活動に取り組むことが必要との認識に立ち組織化に取り組みました。

 1985年(昭和60年3月)大樹町ミニバレー協会を創立。以後小島ら大樹町ミニバレー協会の人々が中心となって、1987年(昭和62年)3月には「十勝ミニバレー協会」を、1988年(昭和63年10月)大樹町で開催した「第1回ジャパンカップ」の監督会議では「北海道ミニバレー協会」平成3年札幌市で開催した「第4回ジャパンカップ」代表者会議を機に全日本ミニバレー協会を立ち上げました。以後大樹町ミニバレー協会からの情報提供や発信、指導により、全道、全国各地にミニバレー協会が組織されました。また、テレビやラジオ、雑誌で紹介されるたびに全国各地からたくさんの問い合わせを受けたり、ボールやルールブック購入の問い合わせがたくさん寄せられました。

 大樹町ミニバレー協会では各地の協会、愛好者と連携を深めてミニバレーの普及に取り組んできましたが、1993年には(平成5年8月)北海道バレーボール協会との協議を経て(財)北海道体育協会50番目の競技団体として加盟が承認され、晴れて社会的なスポーツとして認知される事になりました。スポーツ団体としての承認を得たことで、日常の活動や大会で会場が借りられないなど制約を受けている札幌市や普及に取り組もうとしている市町村愛好者には嬉しい情報であり、協会の苦悩を一気に解決してくれました。

 大樹町では平成6年1994年(平成6年)大樹町議会に「町技」に選定する議案が提案され全会一致で議決されました。

 1995年(平成7年)大樹町ミニバレー協会主催の「第10回ミニバレーの日(3月2日)」にはミニバレークイーンの選出などミニバレーを楽しむ様々な工夫をこらしたイベントが行われています。仮装ミニバレー、4面ミニバレーはこの日の人気のイベントです。

 また、社会的な認知を受けるために(財)北海道レクリエーション協会への加盟を申請し、2003年(平成15年)11月承認を受けました。

 

○ 周年記念事業

 ミニバレー誕生10周年(1982)、20周年(1992)、30周年(2002年)、40周年(2012年)と周年記念事業にもそれぞれ取り組んで来ました。

 10周年の年には、2月の町民スポーツ大会の模様がNHKテレビで取り上げられ『ミニバレーに燃える町』として30分間の全道放送があり、町中がミニバレーの話題で盛り上がり、他の市町村にも大きな影響を与えました。また、オリジナルボール1号を作製したのもこの年でした。20周年では「第5回ジャパンカップ」を再び大樹町で開催。はじめてインターナショナル部門を設け、7カ国の留学生が参加しました。「であい・ふれあい・わかちあい」を象徴する3つのランプがともされ、次期開催地に引き継がれるセレモニーも行なわれました。オリジナルの2号ボールも作製しました。

 30周年の年には、30周年の歩みを記録した「記念ビデオを製作」「日本語・英語・中国語・ロシア語」4カ国語のルールブックを作製しました。この年北海道大学等で「北東ユーラシア健康体育スポーツ国際会議」が開催され、主催者からミニバレー30年の実践活動の発表を依頼された小島がキーノートスピーチ。国際社会へのデビューのきっかけとなりました。また、この年フィリピンのミニバレー協会の要請で、初めて小島他4名が海外での普及事業に取り組み、審判講習会の開催、養護施設の大会支援、市民交流大会をマニラ市などで行ない、「日本で喜ばれることは海外も同じ」と国際化への確かな確証を得ました。

 さらに、読売新聞北海道支社主催の「2002北の暮らし大賞」に応募。これまで30年のミニバレーの実践活動に対し、「奨励賞」を受賞することが出来ました。

 2012年の40周年記念事業では、札幌市の京王プラザホテルを会場に記念式典、祝賀会を開催。ジャパンカップを始め、各地の大会には「ミニバレー誕生40周年記念」の冠をつけた記念大会、を実施しました。国際交流事業では「ロシア・サハリン州交流10周年記念セミナー」を開催し、北海道とサハリン州におけるミニバレー交流や、両地域のスポーツの紹介なども行ないました。この大会や記念事業にはロシア・サハリン州、ブリヤート共和国ウランーウデ、モンゴルの選手団を招待し交流を深めました。一方、サハリン州や韓国の訪問事業も行いました。

 何よりも忘れられないのは、かって岩手県で教員をしていて音更町に移住し、ミニバレーを楽しんでいた、川畑奉子さんの要請もあり、2011年東日本大震災の被災地岩手県大船渡市や陸前高田市の被災地支援のため「ミニバレーで岩手の元気づくり応援志隊」を編成し、ミニバレー活動をしながら、被災地の子供たちや市民、体育関係者に義捐金を贈り、施設入所者を激励したことでした。この活動には、NHK帯広放送局のテレビクルー、十勝毎日新聞社の記者も同行して取材、報道してくれました。

 これらの活動を総括して「記念DVD」2枚組を作製したのを始め、ミニバレーの活動をまとめた『ミニバレー誕生40周年記念誌“挑戦”』発刊事業にも取り組み、28年2月に発刊しました。

 

○大会の開催と指導者の養成

 ミニバレーの普及とともにいくつかの大会を企画、開催してきました。

昭和63年(1988)大樹町開町60周年記念協賛事業として「ジャパンカップ・ミニバレー大会」を開催。現在まで北海道や東京、沖縄で開催して30回を数えるほか、東京都目黒区では「全国フェステイバル」(26回)全国シニア大会(30回/道内各地)「読売杯北海道155大会」札幌市等に取り組んで来ました。

 また、平成元年から指導者としての審判員を養成するために「審判員認定委員会」を立ち上げ、A級、B級審判員認定講習会を全国各地で開催。近年は「普及指導員」の養成事業にも取り組んでいます。現在(平成30年)までの実績ではA級審判講習会は6回開催、認定26人、B級審判員認定講習会は121回の開催で5,426人を認定しています。そのほか本年度か海外の普及にともない要請により、ロシア8人、韓国慶尚南道8人の審判員を認定する養成事業にも取り組んでいます。

 

○ミニバレーの評価

 このように住民のニーズを先取りし、既成のスポーツ概念に挑戦しつつ取り組んできた大樹町発祥のミニバレーは、元祖ミニバレーとも言うべきもので、研究者から「ニュースポーツ開発」の先駆的な役割を果たしてきたと高く評価されてきました。

 

○ミニバレーの国際デビューと展開

 2002年、「北方圏教育文化体育研究会」主催の「北東ユーラシア健康体育スポーツ国際会議」が札幌市(北海道大学ほか)で開催され、『ミニバレー30年の活動と挑戦』についての小島の実践発表は、参加した日本、ロシア、韓国、中国の研究者の注目を集め、特にサハリン州から参加したサハリン国立総合大学P.パシュコフ教授との出会いは、ロシアを中心に海外への普及、進出する大きな契機となりました。

 現在北海道ミニバレー協会とサハリン州バレーボール連盟とは「協力協定」が締結されているが、ソチに全ロシアミニバレー連盟が組織された他、ロシア・サハリン州、ウラン-ウデ(バイカルカップ2014)、ソチ(ソチオープントーナメント2017)、ウラジ-ミル(ゴールデンリングミニバレー2016 )、クラスのヤルスク等でも2019国際大会が開催されます。

 韓国とは、2014北海道ミニバレー協会と韓国慶尚南道バレーボール連合会との「交流覚書」の交換により友好的な相互交流が行なわれてきた。・2017年慶尚南道昌原市にミニバレー連盟が立ち上がり、大会の開催や普及活動が積極的に行なわれています。モンゴル・ウランバートル、カザフスタン,中国ハルピンとの交流も企画されている他、ソチのジャパンカップ参加者である、B,ガリーナさんたちは世界青年学生大会でミニバレーのデモスポ大会(2017ソチ)を開催して、多くの参加者にミニバレーを指導しました。

 これまで 世界41カ国以上の人々にミニバレーを紹介し。交流してきました。(国際交流の項に国名を記載します)

 札幌市や帯広市にあるJICA,国際交流センターでは、研修生のレクリエーションとして手軽に出来るミニバレーに注目。研修生同士の交流、職員や地域の人々との交流にミニバレーを積極的に導入してきました。また、北海道庁国際課や北海道国際交流協力総合支援センター(HIECC)各地のミニバレー協会の協力を得て読売杯や、ジャパンカップなどの大会に海外研修生や留学生を招待。日本での楽しい思い出づくりに活用して喜ばれました。その結果多くの国々の留学生がミニバレーファンになり、帰国の際にはルールブックとボールをお土産に帰国する人も希ではありませんでした。

 

○ミニバレーのモットー

ミニバレーのモットーは「であい・ふれあい・わかちあい」です。

 ミニバレー協会では『ミニバレーというスポーツを通して生まれる人と人、人と地域の温かい関わりに喜びを見いだし、その中でふれあいを深め、お互いを理解し、喜びも苦労も互いにわかちあいながら、人も地域も輝く健康で心豊かな暮らしに寄与すること』をモットーとしています。

 このモットーは1985年(昭和60年)テレビ番組の取材中に「ミニバレーのモットーは何」と問われて小島がとっさに「であい・ふれあい・わかちあいです」と答えた事が後に皆に共感され、承認されて今日に継承されモットーとしてしっかり定着しています。

 また、小島は普及発展のための指導者の基本スタンス、普及活動のための具体的な活動の指針として、「つくる(創)こと」「育てること」「結ぶこと」「拡げること」を掲げ、丁寧に、初心者の目線で、諦めずに繰り返し継続して育て、互いを結びつけ絆を深めて、その喜びを拡げていくことが大切であると強調しています。

 

○ミニバレーの大会

 全日本ミニバレー協会の最大の大会・イベントとして「ジャパンカップ」があります。この大会には小学生や10代から80代までを対象に男子、女子、男女各2名の混成、更に4人のトータル年齢別に区分にして、昭和63年の第1回大樹から変遷を経ながら30回札幌大会まで実施してきました。これまで道内は大樹町、帯広市、音更町、新得町、旭川市、札幌市、登別市、小樽市、上湧別町を中心に、遠軽町、丸瀬布町、佐呂間町のオホーツクの各町、当別町、道外は東京都目黒区、沖縄県糸満市で開催してきました。沖縄では障がいを持つ人の部門もあります。海外の協会からも参加がありますが、中学生、高校生は参加出来ないことになっています。

 そのほか「全国シニア大会」(50才以上の男女)は平成7年から、「読売杯全道155ミニバレー大会」(トータル年齢)平成7年から、「全国フェステイバル」(東京都目黒区開催)平成5年から、「関東フェスタ」「沖縄フェスタ」「石川大会」「山形大会」「茨城大会」など各地のミニバレー協会が地域の特性や、会員の状況を反映した多彩な大会やイベントを数多く開催しています。

 特に「3(ミ)月2(ニ)日をミニバレーの日」とする事から、この日を中心に行なわれるイベントでは、「仮装ミニバレー」、「4面ミニバレー」などこの日だけのユニークな取り組みがあります。

 また、東京ミニバレー協会が長期的な計画のもと、区民を対象に指導普及計画を作成して取り組んだ2013年の「第64回東京国体・スポーツ祭東京2013のデモスポ・ミニバレー大会」とそれを支援して開催した「東京国体を盛り上げる北海道・沖縄物産展」は大変好評を博し、ミニバレーならではの強い絆、わかちあいの心が実践されたものでした。

 2020年東京オリンピックの年には、「燃ゆる感動かごしま国体」をテーマとする「第75回鹿児島国体」が行なわれますが、デモスポ-競技として5月に、沖永良部島知名町でミニバレー大会の開催が決定しており、全日本ミニバレー協会としても、東京大会の時と同様、大会の成功にむけ2018年10月審判員の養成事業を行ない、鹿児島県での今後のミニバレーの普及を支援したいと協力を約束しています。

 

○ 「一般社団法人全日本ミニバレー協会」の承認と活動

 ミニバレー誕生から45年余りの長年にわたる活動実践を踏まえ、今後とも社会的な責任を果たし、国際活動を指導するリーダーとしての活動を展開するためには、多くの人々や団体の社会的な信頼と承認を得る、責任のある団体でなければなりません。そのため、かねて検討してきた組織の改編に取り組む事になりました。そのため組織を任意の団体から「一般社団法人」とする事が望ましいとの役員の判断にたち、会員の理解を得て、平成29年年11月16日「一般社団法人全日本ミニバレー協会」として承認を受け活動が始まりました。

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